2011年4月6日水曜日

乙女をめぐるあれこれ

私は乙女である。
そのことは、揺るぎのない事実である。


乙女とは一体なにを指し、私を乙女たらしめるものはなにであるのか。



おと‐め〔をと‐〕【乙女/少女】

《「おと」は、動詞「お(復)つ」と同語源で、若々しいの意。本来は「おとこ」に対する語。「乙」は後世の当て字》
年の若い女。また、未婚の女性。むすめ。しょうじょ。処女。


うーん。すこしちがう。いや、かなりちがう。
わたしにとって、「乙女」とは信仰である。「乙女」いう生き方であり、選択肢である。
「年の若い女」である必要もなければ「未婚の女性」である必要もない。もっと言えばセックス依存症の「乙女」だって存在しえる、つまるところ「処女」である必要もない。さらにさらに、「『おとこ』に対する語」でもない。性別なんてとるに足らないくだらない区別だ。
いくつになっても望みさえすれば「乙女」は「乙女」であり続けられる。

乙女に必要なこと、それはなによりも清廉潔白であること。
だけれどもここでいう「清廉潔白」というのは決して誰かが勝手に決めた、よく分からないもやもやとしたルールめいたものに対してのそれではない。各々が「乙女」であるということに自信と誇りを持ち、簡単には曲げない崇高な精神のことを言うのです。
その拠り所はどのようなものであってもかまわない。「自らを乙女たらしめる規範」が存在していればよいのです。

私の場合、自分を「乙女」だとみとめたのはなにがきっかけだったろうか。
私のなかに少女性を植え付けたのはラプンツェル、情熱を吹きこんだのはジョージ朝倉、勇気を与えてくれたのはアンネ・フランク、可憐さを学ばせてくれたのは吉屋信子、美しさを焼きつけてくれたのは澁澤龍彦先生である。でもやはり中原淳一先生このひとこそが私に「乙女」であるという生き方を選ばせた張本人だ。
コンプレックスまみれで、人の顔色ばかりをうかがい、暗くていつも無理をしていた猫背の私がだんだんと背筋をのばしてしっかりと息をできるようになったのは彼らをはじめたくさんの文筆家のおかげであった。

子供のころからあまり友達の多い方ではなかった私が、唯一自分を解放できる行為が読書だった。(これは今もそうかもしれない。)
本に限っては、おねだりをすることを褒められた。母親に愛してもらいたい一心でとにかくどんどん本を読んだ。小学校のころ、図書室の本はもうほとんど読み切った。ちいさいころから高校にあがるまで通い続けた地域の図書館にも、気がつけば読みたいものがなくなるほど本を読んだ。中学・高校の図書室では、3冊までしか借りてはいけないのに、どうしても我慢できなくて毎回制服のブレザーの下に隠して10冊近くの本をこっそり家に持ち帰っていた。宿題はやらなくても本は読んだ。勉強はまったくしなかったけど、本はとにかく読んだ。大袈裟だと思うかもしれないけれど、当時の私にとっては本を読むことがそのまま生きることのように感じていたのだと思う。救いだった。

そんなわけでちいさいころからすこしずつ蓄えてきた「乙女」がかたちになったのはつい最近のことで、このごろなんとなく明確に自分の中での規範めいたものができてきた。
ずうっと憧れてきた「乙女」というものは、私が語るには崇高すぎて、私のような美しくもなければ余裕もなく、処女でもないただの女では到底辿り着けないものだと勝手に思い込んでいた。選ばれた人にしか与えられていない生き方だと思っていた。

けれどもそうではないのだ。「乙女」という生き方は、私が選ぶものなのだ。

今のところはこういう結論に達していて、これが私の思う「乙女」の正体だ。
思い描くその生き方に恥じぬよう、きちんと生きていくことそのものなのだ。
どのような境遇の、どのような容姿の、さらに言えばどのような性別を持つひとにも選ぶ権利のある、信仰であり、覚悟のようなものこそが「乙女」なのだ。

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